月別アーカイブ: 2006年10月

デザインサイエンス

私にとって、デザインサイエンスに関われば関わるほど、
職業とはかけ離れるという事態を受け入れたのは、それほど昔ではない。
その時に、デザインサイエンスには、
未解決な膨大な仕事があるという認識に基づいた計画が生まれた。
それまでのように、論文発表する必要がないという試練も必要だった。

この10年間、デザインサイエンスは
バックミンスター・フラーの時代には起こりえなかった、
個人が入手し実践できるテクノロジーを理解し
統合することによって変化する現実を
どのようにして段階的に獲得できるかという
自己教育の問題に接近している。

テンセグリティ構造とパターン

知的爆発は、教育投資に比例するという前提で、通常の教育組織は運営されている。
彼らのビジネスは、常に「自然」が生成する内的プログラムを隠蔽することである。
しかし、学校が存在しなくても知的爆発時期は存在するのである。

たとえば、この知的爆発時期の子供は、テンセグリティ構造とパターンの完全性を予備知識なく瞬時に理解できる。これは神秘ではないだろうか。ーーーー貧感(ビンカン)からの脱出には早期教育ほど効果的なものはない。

エッシャーのメタフィジクス

ある美術雑誌でエッシャー特集を監修する機会を得て、アート&サイエンスからエッシャーの全作品を分類し、特にシナジェティクス的な考察をエッシャー論としてまとめることができた。
ローマでの第1回エッシャー国際会議で発表したエッシャーに対する考察からすでに20年が経過したが、9月のオランダの美術館での取材から、新たなエッシャー論を試行できた。

[版画画廊]のエッシャーの制作目的を直接エルンスト氏のインタビューから聞けたことは、これまでの理解を組み替えるまでの出来事であった。

[版画画廊]はエッシャーが最晩年までもっとも愛着を抱いていた作品であったという理由を知りたかったのであるが、その調査は遂に遠近法の開発にまで拡張されることになった。この新しい遠近法は、科学雑誌に数学論文として掲載予定である。

http://synergetics.jp/publication/index.html

http://www.mcescher.com/

Print Gallery 1956 リトグラフ

Print Gallery 1956 リトグラフ

[描く手]を描く手として描けるが、その描かれた手が手自身を描くときには、手は描かれないという自己再帰的パラドックスは不可視な段階に止まっていたが、
[版画画廊]では空白の領域で客体と主体は等価の原理によって融合する構造にまで視覚化された。これほどまでに思考の幾何学に接近した絵画は他に存在しない。
リーマン幾何学空間の格子を分析すれば、4回回転対称性を有していることがわかる。この図版はBT今月号に記載されている。

テンセグリティ建築

バックミンスターフラーは最初で最後のテンセグリティの発見者である。
したがって、テンセグリティの専門家は最初からいなくなったのである。

これ以上具体性に置き換える科学的
探求に、それほど価値は期待できない。

太陽系モデルも原子核モデルもそして細胞モデルも
一つで説明できるようになったのだから。

引力がユニバーサルであるように
テンセグリティは至る所に存在すると考えるべきだ。

大学の建築学部にテンセグリティ学科などは
成立しない。

研究室でフラーレーンを合成する前から
宇宙はテンセグリティ建築の実例に満ちている。

教育用テンセグリティモデル

テンセグリティモデルをデザインすることはできないということを
認識した最初のデザイナーはフラーである。
より正しいテンセグリティモデルは
発見されるしかないのである。

これが、だれもこれまでテンセグリティモデルを
供給できなかった理由である。フラーも含めて。

しかし、教育用のテンセグリティモデルは常に間違ってデザインされてきた。
1970年以後、ゴムのような弾性のある素材をテンション材に
使用したり、ステンレスワイヤーのような重量のあるしかも
伸度の高い引張材を使用してきたすべての教育研究用モデルは
科学的とはいいがたい。
教育用は本質的ではなかったのだ。

教育が本質的でない限り、
テンセグリティモデルはこれからもデザインされ続けるにちがいない。