経験するとは、
観察者になると同時に被観察者になることである。
つまり、経験には想像力が介在する。
これはもっとも簡単な操作主義である。
経験するとは、
観察者になると同時に被観察者になることである。
つまり、経験には想像力が介在する。
これはもっとも簡単な操作主義である。
懐胎期間の意図的な引き延ばしが容易なのは、
テクノロジーの冗長性への見えない依存度のためであるが、
過剰な重量増加は二酸化炭素の増加問題である。
その原因は、
それまでの構造の定理の維持のために構成された組合員(=アカデミズム)が
形成した局所的知識体系を陳腐化する時間を
容易に延期させられるほど、
(他の科学的領域での平均予測時間と比較しても)
構造の間違った定理とその記号学にしがみつく組合員は
圧倒的に多数なのである。
テンセグリティによって発見された真の構造の定義は
テンセグリティモデルまでも歪められている。
経験とはけっして基本的ではない。
経験はつねに複合化されている。
概念的な一般化は本質的に経験(experience)に基づいているが
実験数値(experiment)から導かれた限定的な経験主義ではない。
原理の発見がかならずしも実験数値から一般化されていないのは、
すべての実験と経験は特別な場合だからである。
シナジェティクス・モデリングは経験の総体に関与する
包括的原理に接近するもっとも原始的な行為である。
「思考を声にする」行為と相補的な関係にあるだろう。
より意識的により秩序づける試みを追求していくと
人間は単純により多くの宇宙の原理を発見していく。
人間も宇宙もより複雑になってはいない。
それは神秘のひとつだ。
テンセグリティは視覚化された構造の神秘だ。
驚くことに、バックミンスター・フラーでさえ、
ジオデシック・ドームのための三角法の計算をやり遂げるのに、二年間を費やしている。
1950年代には、忍耐強い手計算なしでは、構造の革命は達成できなかった。
しかし、現在途方もない強力なパソコンがあるにもかかわらず、構造の革命は途絶えているのはなぜだろうか。
ジオデシックドームでさえ、バックミンスター・フラーのデザインの再現に止まっている。
張力材に対する信頼が陸地で生まれた固体的な技術体系に欠如していることが、テンセグリティが構造の究極であるという認識の不足に繋がっていることは、テ ンセグリティ理論の大気圏内での応用の半世紀間の歴史を見れば、明らかである。これは、私が 90年代にRBFのアーカイブでNASAプロジェクトのレポートを閲覧した時の感想である。
テンセグリティ構造が美しいのは自慢にはならない。
経済的に自立するテンセグリティ・ジオデシック構造が美しければ、それは原理の統合性の美しさだ。
人間がつくり出すどんなデザインも到達できなかった美だ。
発明にライセンスは不要だ。
だからといって、
発明家がメタフィジクスを理解しているとは限らない。
発明は物質的にのみ達成できるが、
原理の発見はつねに超物質的である。
この違いは、発明者の数よりも原理の発見者が
つねに少ない理由かもしれない。
物質と超物質の統合のノウハウを扱う
実践的なデザインサイエンスでは
発見と発明は表裏一体である。
私は昨日の午後、デザインサイエンス・プロジェクトに従事する
複数の開発協力者とともに意図的に開始したにおいて、
テンセグリティ・ジオデシック構造の異なった複数の実験によって
生じた主観的反応を分析した結果、
優れた新しい客観的機能を発見することができた。
機能は他の機能としか共存できない。
ひとつの機能は統合された複数の原理に関与していなければ、
それ自身では存在できない。
われわれはテンセグリティの諸機能ではなく
機能という宇宙を確認しているのである。
バックミンスター・フラーは
創造性(クリエイティビティ)という言葉を使わないようにしてきた。
創造性とは
宇宙に先験的に存在する諸原理の利用において
まったく先例のない独自の組み合わせを
発見していく行為とその過程に他ならないからだ。
つまり、
これまでデザイナーたちが目標としてきた「創造性」をまったく除外していることになる。
彼らの「創造性」への欲望が、
静的で美しいオブジェとして美術館などにコレクションされているかぎり。
今日からシナジェティクス入門講座の後期の講義とワークショップが始まる。
人間は多くの時間を持っているわけではないから
同じ経験を講義で喋らないように心がけている。
講座生の貴重な時間は、
新しい経験を目録化する時間に使われるべきである。
その結果、私の講義は毎回たいてい連続3時間を超える。
終わるのが深夜になることもある。
やむなく欠席した人は、ダウンロードして講義を聞くことになるが、
他者の経験の目録化のライブに退屈しないのは
「声に出して思考する」時の即興性に関連しているだろう。
この即興性は
やがてシナジェティクス・モデリングの相互作用に深く影響を与えることになる。
モデル言語の形成には明らかに話す行為が介在しているからである。
シナジェティクス・モデリングは
原理の存在の確認を目的としているが、
「声に出して思考する」の過程で、思考の自発的な流れを誘発し、
ついには新たな原理の発見をもたらす装置となる。
G・グールドが声を出しながら演奏するバッハの平均律のように
思考にも平均律が発生する。
音程を均等な周波数比で分割した音律があるように
経験を同期する周波数域に変換できるか、できないかで
対象化することができる。
この経験にはすばらしく原始的な喜びがある。
言語の形成に参加する以上のコミュニケーションはないのかもしれない。
物質を構成するすべての原子からみれば、
圧縮材とはより分割数の高い張力材のことである。
人間のような有機生命体では
張力材のほうが圧縮材よりも圧倒的に多く使われている。
しかし、この数えられる張力からは
連続した一つのネットワークであるという認識が欠落する。