“デザインとは、事物の相互関係を主観的かつ客観的に、
知性的、数学的な概念によってのみ秩序化する試みである。
宇宙的規模のすべての発明とデザインは、知性によってのみ成就される。
しかし、それは人間の知性によってでなく、あきらかに
われわれが神と呼ぶ普遍的な宇宙の知的統合性による。”
バックミンスター・フラー
引用
『宇宙エコロジー』(バックミンスター・フラー+梶川泰司 著 美術出版社 2004)
“デザインとは、事物の相互関係を主観的かつ客観的に、
知性的、数学的な概念によってのみ秩序化する試みである。
宇宙的規模のすべての発明とデザインは、知性によってのみ成就される。
しかし、それは人間の知性によってでなく、あきらかに
われわれが神と呼ぶ普遍的な宇宙の知的統合性による。”
バックミンスター・フラー
引用
『宇宙エコロジー』(バックミンスター・フラー+梶川泰司 著 美術出版社 2004)
シナジェティクス研究所のシナジェティクス入門講座では、
バックミンスター・フラーのデザインサイエンスと、
「クルマ、構造物・建築、ウエブ、医療システムなど、世の中に存在する
ありとあらゆるデザインの根底にある原理原則を確立・提案し、
理論的に説明する新たな科学」と定義するデザイン・サイエンスとを
数学的、構造的に、そして哲学的に区別することから始まる。
数千年間も不変であった建築の固体的構造ですら、
テンセグリティ原理の発見によって
はじめて真の統合された「構造」が定義されたことを思い出せば、
「世の中に存在するありとあらゆるデザインの根底にある原理原則」のほとんどは
人間がつくるシステムとデフォルトであり、
先験的に存在する宇宙のデザインとは区別できる。
そして、シナジェティクスは
「世の中に存在するありとあらゆるデザインの根底にある原理原則を確立・提案する」
ことには無関心である。
なぜなら、真の原理が
「世の中に存在するありとあらゆるデザインの根底にある原理原則」から導き出された
事例は存在しないからである。
これまでの基本的な知識の習得は
理論的なアイデアだけを学ぶことに始終するが
シナジェティクス講座は
基礎理論を学ぶカリキュラムではない。
真の理論は実践に適用して生き残った結果である。
理論を実践で経験しないシナジェティクス原理は存在しない。
同時に、デザインサイエンス講座は応用技術の習得を意味しない。
シナジェティクスなきデザインサイエンスも
デザインサイエンスなきシナジェティクスも
時代遅れである。
このカリキュラムをもしプラグマティズム (Pragmatism) のイギリス経験主義に分類するなら、
読書以上の経験が獲得されていないばかりか
シナジェティクスの思考言語(thinktionary)のユーザではないだろう。
〈不可視〉のテクノロジーの発展における発明家の役割は、
機能的性能の一定の増加量を達成するために投入される素材の一単位体積
または重量、単位エネルギーあたり、
そして、単位の労働時間および生産システムの維持管理に要する時間あたりで
遂行される仕事において
絶えずその量と質を高めていく。
この複雑な過程をバックミンスター・フラーは漸進的な短命化(エフェメラリゼーション)と呼んでいた。
現在の人類が短命化(エフェメラリゼーション)に
総人口の1%も関わっていないのは
その教育プログラムが意図的に不足させられているからだ。
発明がお金もうけの手段として発明家さえも搾取できたのは、
国家や企業が設備投資と引き替えに特許制度の出願人から
発明家の知的財産権を譲渡する場合
短命化による膨大な収穫を非公開のままで
独占できたからである。
発明は無限に存在する。
宇宙の原理は無限に存在することは科学的に否定できなかった。
————————————–
参考文献:
この歴史的で包括的なエフェメラリゼーションについては
『クリティカル・パス』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社 2007)
に真実が述べられている。
道具とは、生存には不可欠だが
断続的にしか利用されない機能を
身体から分離して拡張したものであるが、
人類の意図的な道具の開発にmore with less
は滅多に利用されない。
あらゆる道具は、
有機体生命の成長計画に不可欠な機能を担う部分としてのみ
宇宙に存続できるのである。
記憶力と思考力を
コンピュータに分離拡張しながらも
依然人類の家と事務所は
昼と夜にはそれぞれ利用されていない。
人間の住居に支払うコストと金利は
宇宙的生存には不向きである。
家(shelter)を買う習慣は、哺乳類では人間だけだ。
シナジェティクス研究所が2006年から毎年開講する
シナジェティクス入門講座(前期後期各6ヶ月間)では〜
『コスモグラフィー』(シナジェティクス原論ーバックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社 2007)
で言及されるすべてのシナジェティクス・モデルを再現する。
概念を視覚化できる包括的なシナジェティクスモデルは
自然の数学的座標システムの再発見をもたらすだろう。
同時に、
現在の科学が多くの人間の理解を遠ざけることで
標準化した数学的座標システムを無効にする劇的な場面に遭遇することになるのであるが、
科学と工学そして教育の欠点を発見することなくして
シナジェティクスの包括的な理解には到達し得ないプロセスでもある。
モデル言語の習得はシナジェティクスを理解するための最短コースである。
(前期講座のシナジェティクスモデル群から諸概念の理解を経た講座生は、
後期講座でより実践的なクリティカル・パス方を習得する)
デザインサイエンティストは
実験から得られた証拠によってのみ
誤りを証明することで概念の牢獄から脱却したとき、
真であることを実験的物理的に証明できる数学的な公式を包括して
デザインサイエンスを遂行できる根拠を持てる。
利己主義が引き起こす有害さよりも
社会の利益を生み出すその能力が優勢となるという
目的意識を維持するには
実験的物理的に証明できる数学的な公式を自ら発見する経験が必要となる。
数学者としてのバックミンスター・フラーの認識が
テンセグリティ構造原理の発見者の評価よりも遅れているのは、
デザインサイエンティストと建築家との違い以上に
数学者との違いも説明しているのである。
難しく考えるよりも
より単純に考える方が
難しい場合は、
失敗から学べるほど
まだ失敗をしていないからだ。
シナジェティクスモデリングから
単純な方法に関する操作主義を学べる。
一般的にスケールモデルとは、複製技術を前提にした場合、
実在する静的または動的な「メカニズム」を、
縮尺に基づいて作製した模型を意味してきた。
しかし、その模型が実在の機能までも備えていることは稀である。
実際、飛行しない航空機のスケールモデルや
走行しない自動車のスケールモデルをみてもわれわれは驚かない。
シナジェティクスモデルはスケールモデルではない。
大きさから独立しているばかりか、
「構造とパターン」がすでに実在する機能を自動的にかつ自律的に形成している。
一方、われわれは,機能を備えた
実在する原子核構造の拡大モデルを
制作することは不可能である。
シナジーは縮尺に基づいて作用しない。
デザインサイエンスは、
認識上のまたは実行段階における誤りを
頻繁に発見できる方法の確立に注目する。
個人の生得的な勇気が、
そして真実の重要性の意識が
自尊心の意識よりも
大きい場合にのみこれらの誤りは認められる。
そうして
ただ、偶然に何が真実なのかを発見する。
この方法論は
従来の工学理論や芸術工学的理論には存在しない。
(そもそもギリシアにおいて、アートとは技術の在り方を問う認識論を含んでいた。)
この計画的偶然(=プリセッション)を
クリティカル・パスに導入することは可能である。