シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

原理的選択へ

社会的選択とは、人間の知、行動や知覚、感性さえも
そうした全体を拘束し、
自由から逃亡するための選択のことである。

原理的選択の場は
シナジェティクスにある。

人間の自由をさらに拡大する自然の原理において
原理そのものを発見する場である。

幾何学だけではなく、記号のテクノロジーを
そして自己のテクノロジーを
根こそぎ作り替えるのではなく
自らを陳腐化するために。

物質の革命はその後だ。

「経験」するものへ

考える存在としてのシナジェティクスが
感じる存在として私のシナジェティクスと
同じ一つの主観として受容され始めた時がやってきた。

バックミンスター・フラーに初めてシナジェティクスを
プレゼンテーションしたその瞬間から
知性と感性の同一性をより単純化して「経験」するものへの統一が
けっして脅かされることはなかったのである。

いまも変わらない
経験された事実が
主観として受容された後にやってくるそのプロセスは。

経験された事実を秩序化する試みこそが
原理に導かれていくシナジェティクスである。

回転に逆らうだけの革命

竜巻では〈放出evolve〉と〈吸収involve〉は非同時的だが共存する。
回転に逆らうだけの革命(revolution)とは無縁だ。
テンセグリティには、竜巻に近い構造の自律性がある。

つまり、進化(=evolution)も
退化(devolution)もしないシステムである。

外力分散機能だけではない
構造の局所的破壊に対する補償作用は
未知(unknown)を統合するシナジーである。
シナジーは自然(nature)さえも統合する。

どんな政治的・経済的革命も、時代遅れである。

概念モデルへ

私は、29歳の時、師と共に
シナジェティクスモデルの誕生に立ち会い
その概念モデルの爆発に
立ち会わねばならなかった。

それも、そのような概念が表されている書物ではなく、
概念を表明しているメタフィジックスの出来事にしたがって
やがて目的論の元で試行されていく
デザインサイエンスの実践活動に自発的に向かった。

直観と同時的に
そして概念と非同時的に。

はじめに
概念モデルの爆発ありきである。

デザインサイエンティスト

4つの無のテクノロジーに関する
デザインサイエンスによるプロトタイプとその量産方法が
デザインサイエンティストの意思として
政府が税収奪のために独占すべきだと望んできた現実の中に
刻み込まれるよりも前に
プロトタイプを完成させるテクノロジーこそが
自己のテクノロジーを練り上げていく。

無線、無管、無柱、無軌道について

皮膜のない宇宙服では大気圏外では生存できない。

皮膜や外殻がないかぎり
すべての生命は宇宙では生存できないにもかかわらず
テンセグリティやジオデシックドームよる
大気圏内の宇宙開発は確実に遅延してきた。

バイオスフィアという
最大のインドア(=大気圏)が素晴らしくデザインされているがゆえに
アウトドアのドームテント以上に
モバイル用のインドアはデザインされてこなかったのだろうか。

初期モデルのバックミンスター・フラーのダイマクションハウスから
第2次デザインサイエンス革命による
テンセグリティシェルターのプロトタイプ完成まで60年以上を経過している。

デザインサイエンスが供給する
テンセグリティシェルターでの
モバイル用インドア生活は
すべての都市インフラを完全に不要とするデザインがなければ
真のモバイル性の自由度から形成される精神の自律性は
実現できないという前提は
この半世紀間変わらなかった。

無線、無管、無柱、無軌道を実現する
デザインサイエンス革命による4つの無は
無為自然というテクノロジーへの進化過程に置かれている。

最初に、この無為自然を実現するのは
火星計画ではないだろう。

数字と形態

シナジェティクスは
経験的な内容に超越論的意味を付加したり、
経験的な内容を主観性から翻訳して構成する場合は
モデリングの現象学に従うだろう。

シナジェティクス・モデリングは
シンタックスとセマンティックが相互変換を行う場を形成するからだ。

数字と形態が表裏一体となる瞬間の現象学を学ぶことは
シナリオのない思考回路を受容する行為である。

愛好者たちのディレッタンティズム

シナジェティクスを
自己のテクノロジーではなく
個性を鍛える手段にする以上に
自己を楽しませる(dilettare)手段はないだろう。

それゆえに、
シナジェティクスの愛好者たちはこの半世紀間も
デザインサイエンスを生まなかった。