青年時代は、シナジェティクスを探査する時である。
知識は、批評家と学校に任せておこう。
理解したことを純化できるのは経験だけである。
つまり、デザインサイエンスを実践する時である。
青年時代は、シナジェティクスを探査する時である。
知識は、批評家と学校に任せておこう。
理解したことを純化できるのは経験だけである。
つまり、デザインサイエンスを実践する時である。
ジオデシック・テンセグリティ構造は、
ある瞬間に偶然に内側から皮膜に向かって衝突し、
皮膜を外側に押す特定の気体分子の振る舞いを、
大円(ジオデシック・ライン)上に位置する不連続な圧縮材に置換した
無柱で中空の皮膜構造体である。
この場合、冗長で過剰な分子群は構造から完全に除去されている。
言い換えれば、リダンダンシーの完全な排除と陳腐化に成功した
最初の構造システムになる。
ジオデシック・テンセグリティ構造を
構成する不連続な圧縮材に対応するパターンにそって、
風船の被膜内面に圧縮材の両端部と結合するポケットを取り付けて、
その硬く曲がりにくい圧縮材の両端をそのポケットに挿入すると、
あたかも気体を充填して内圧をかけたような球形構造を維持できる。
そして、その形状を維持したままその皮膜表面に無数の穴を開けても、
驚くことにこの状態を維持できる。
皮膜に最大の穴の面積をデザインすると、
ジオデシック・テンセグリティ構造の最短の張力材の総計からなる
ジオデシック・ネットワークの編み目になるのである。
(このときに、テンション材の総重量も最軽量にできる。)
これこそが、ジオデシック・テンセグリティ構造が、
最軽量のニューマチック構造にデザインできる原理である。
住居は森のようになるべきである。
分解も移動もすべて成長過程に包括している。
それに必要なエネルギーのすべてを、光合成でまかなっている。
もっとも知性的なシステムは、
エコロジーという概念が発見される前に
すでに達成されている。
20世紀当初の産業社会は、
決して〈金儲け=アブノックス〉を目的にしてはいなかった。
現在の超国家企業こそが、
個人の誠実さから生まれる発明の巧みさを育て、
優れた製品だけを大量生産するための、
産業を指導する知恵を、
完全に捨て去ってしまったのである。
宇宙で絶え間なく生成するあらゆるエネルギー変換と
それらの相互変換の過程のみに注目し、
物質と時間・エネルギーの純粋なコストから形成される
物質化のための産業(=アンチ・アブノックス)は、
消滅したのである。
しかし、物質化のためのほとんどの素材と道具は、
既製品として生産され続けてきた。
アンチ・アブノックスを目指す産業を
個人的に形成できるまでに。
無数の既製品から特定のある機能(doing more with less)を
生成するための偶然の組合せの加速的な増大は、
必ずしも大量生産の手段を必要としない。
個人の誠実さから生まれる発明の巧みさを育てるためには。
これは、
バックミンスター・フラーが
生き延びた過酷な産業社会にはなかった可能性だ。
すべての超専門分化には、
長い教育期間と教育投資が必要だ。
こうして、堅実で安定した
高級な奴隷の仕事にも差別化が生まれる。
しかし、
原理の発見だけではなく、
複数の原理の相互調整をデザインし、
同時に、
包括的な思考をdoing more with less
で物質化する
デザインサイエンスに比べたら、
その教育期間と教育投資でさえ少なすぎる。
スネルソンは純粋な圧縮材の非連続性を
バックミンスター・フラーから
ハッキングできなかった。
彼はいまでも、テンセグリティ構造のアンチ・リダンダンシーを
信じていない。
テンセグリティは構造としては危険であるという前提で
彼の芸術は成立している。
テンセグリティの機能を
オカルト的(occult=隠されたもの)に扱っていたから、
ハッカーの重要な主観的なモデリングに挑戦できなかったのだ。
例えば、70年代にテンセグリティを
最初に紹介した日本の図学者も、
張力の統合作用を信じていなかったのであるが、
テンセグリティモデルの複製において、
テンション材を針金で代用していたのは、
エンジニアリングの妥協を超えた
ただの学問的な偽装にすぎない。
ある金属繊維や炭素繊維をより小さい断面積の繊維に細分化していくと、
より細くなった繊維の束の強度は、
むしろ飛躍的に増加する。
この張力性能は、細分化を始める初期の単位断面積で比較すると、
数百倍から数千倍にもなる。
これは、表面積に対する質量の比が増加したためでもある。
こうした先験的な自然の富に関する考察は、
ことごとく教育システムから巧妙に排除されてきた。
あらゆる張力性能は、
それを開発した企業の投資した結果として所有するために。
あらゆる軽量化のための構造デザインが、
構造システムの純粋な外側の分割数を受け入れるならば、
本質的にシステム内のミクロコズムを囲い込む張力性能は、
自然に引き出される。
ハッカーとしてのデザインサイエンティストの基本的な戦略は
絶えざる自然の原理の発見が支持するだろう。 YK
個人を国家の税収奪や企業のアブノックスな労働から自由にするのは、
無管、無柱、無線の3つのテクノロジーである。
しかし、バックミンスター・フラーのデザインサイエンスを学ばなければ、
これらのテクノロジーを統合した状態で理解するのは困難だ。
たとえば、ダイマクシオン・ハウスは、最初の量産型金属住宅だけではない。
日本ではやっと今月から衛星インターネットのサービスが開始された。
(光ファイバーでさえ19世紀の概念で成立している。)
もちろん、このサービスを提供するのは、日本の通信企業体ではない。
連絡先
タイコム株式会社
http://www.ipstar.com/japan/jp/
do more with lessの定義やテンセグリティ・シェルターのデザインについて、
そして、
自然が採用したすべての概念が視覚化できる包括的な数学的座標システムを
提示するシナジェティクスを理解し、効果的に応用するデザインサイエンスについて、
経済人が策定する人件費の削減は誰かの犠牲によって達成されるかぎり、
古典的な合理化である。
製造工程の省力化に関する発明によるコスト削減策は、
予測可能なロジスティックで達成される more with lessである。
テンセグリティ・ジオデシック構造の分割数の増加に関して、
理論的には限界はない。
もちろん、より多くの機能を提供する際の予測可能なロジスティックにあるが、
構造が大きければ大きいほど、
分割数の増加に伴って部材の局所的な扱いがより簡単になる。
この分割数の増加によって、製造コストやアセンブルコストの<級数的な削減>を達成し、
同時に、システムからリダンダンシーを理論的にも排除できる。
つまりテンセグリティ構造の半径の増加に伴う単位体積あたりの
劇的な製造コスト削減において、
社会的経済的な犠牲は伴わない。
これこそが、予測不可能な more with lessである。
この予測不可能なmore with lessを達成した分割方法によって、
テンセグリティ・ジオデシック構造の構成要素のデザインは、
つねに同型のユニットの増加をもたらす。
articulationという原理と原理と調整を果たすためにのみ、
デザインという物理的次元が与えられるとも言える。
コスト削減によって構造のプライム・デザインが犠牲になる場合は、
発見されるべき more with lessも犠牲にされていると考えて良いだろう。