具体性に置き換える誤謬

シナジェティクスの学習は具体性に置き換える誤謬を劇的に減らすに違いない。

たとえば私があるシナジェティクス原理を発見して国際会議に出席してその発見を発表したとすると、
最初の質問は間違いなく、この原理の応用分野は何かという質問である。
多くの場合この質問は、内容に対して好意的と思われてきた。
長い間、私は、シナジェティクスを理解し研究すればするほど、
直観的にこうした科学的探求の態度は具体性の奴隷に陥る傾向にあると感じてきた。

その理由を考えてみよう。
たとえば、内燃機関の初期の発明者は移動する手段の具体化ではなくではなく
まぎれもなく、エネルギーの変換方法に興味を抱いていた人たちである。

歴史的に次の段階は、
応用に関わる人たちが必ずしも原理を理解しなくても人工物を制作可能であるという段階に移行する。
たとえば、たいていのドライバーは
自動車の内燃機関の原理を理解できなくとも安全に運転可能である。
ほとんどのテクノロジーはそのような理解で伝播し支持されていると考えられる。

具体性に置き換える現在の科学者の脅迫は
原理を所有できない連中がノウハウを独占したい欲望の変形にすぎない。
なぜなら、資源とノウハウを独占したい企業や国家は、ほとんどの科学者を雇用しているのである。

原理の発見者には、現在もどんな知的所有権の保護もなされていないのは、
王様に宇宙の原理は所有できなくとも、
あるいは理解しないでも、テクノロジーの具体化のノウハウは
所有できたという超専門化の歴史的背景なしでは説明できないだろう。

たとえば、アインシュタインのような超一流の科学者は
広島に原爆が投下される2年前まで
核兵器の現実的なテクノロジーの実現は100年先以上だと想定していたのである。
これは、原理の探求者の限界と言われてきた。

しかし、私は、この場合に定義されるテクノロジーは
人類だけしか生み出せないという前提がふくまれていることに注目したい。
この前提から、<宇宙はテクノロジーである>という
バックミンスター・フラーのメタフィジクスは、みごとに絶縁されているのである。

私が現在翻訳監修を進めているバックミンスター・フラーの遺作となった『コズモグラフィ』は、
シナジェティクス原論であり、膨大なシナジェティクスをこれから学ぶ人たちへの入門書であるが、
<宇宙はテクノロジーである>と考えた科学者の系譜を、フラーが自ら編集した壮大な宇宙論でもある。

犬のしっぽブログ ーリアリティー
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