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数学的、科学的な絶対的証明

日本版『コズモグラフィー』(監修 シナジェティクス研究所、白揚社)の
出版は、編集作業と精緻な図版制作のため再度延期されることになった。
9月の初旬に決定。

原書の理解のための追加図版の翻訳とそれに伴う編集などで
未完成の遺稿となった『コズモグラフィー』はやっと、
バックミンスター・フラーの意図した本来の<シナリオ宇宙>が見えてた。
その結果、『クリティカル・パス』と同じテキスト量となり、
『クリティカル・パス』と同様の歳月を費やしたことになる。
彼の独自な思考言語の翻訳言語の形成には、『クリティカル・パス』の思考言語形成から
さらにほぼ10年の懐胎期間を経なければならなかった。

『コズモグラフィー』は、最晩年のバックミンスター・フラー自ら書き下ろした
シナジェティクス原論であり、最初のシナジェティクス入門書である。
<シナリオ宇宙>は、数学的、科学的な絶対的証明のみで構成されている。

最初のハッカー

未来を予測する最善の方法は、
原理を発見し、その応用を発明することだ。
大企業が独占する前に
その効果的なプロトタイプだけを最初に生産する。
そして、次が重要だ。
それ以上はしないことだ。

洞察力のある個人が包括的なプライムデザインに挑戦する。
その結果、従来のシステムは自然に陳腐化できる。
では、それまでのコストは誰が支払うのか。
その計画が漸進的変化に対して純粋で論理的あれば、
社会が支払う。
ただし、官僚が審査する助成金や補助金ではない。

これが、私が知る
バックミンスター・フラーの20世紀の
最初のハッカー的手法である。
彼はこの計画的偶然をプリセッションと定義している。

プリセッションは、人為的な多勢に無勢式社会の対極にある宇宙の原理だ。
大学という専門分化した教育機関ではプリセッションは
拒否されてきたが、シナジェティクスに興味を抱く個人は確実に増えている。
デザインサイエンスとの関連が、これから経験されていく懐胎期に入ったのだ。

『コズモグラフィー』(9月刊行)と思考言語

「教育を装った権力システムは、本質的な包括的思考能力を
初歩的で一時的な主題へと故意に分断する。」 1983 RBF

知らないことは知ることの不可欠な要素である。
そこに試行錯誤が生まれるが、
われわれは、めったにこの能力を使わない習慣を
学んでしまう。

モデルは、純粋原理の具現化だけではなく
自己教育のための思考言語装置でもある。

日本版『コズモグラフィー』(監修 シナジェティクス研究所)には50種を越える
これらの思考言語が紹介されている。

最初の量産用プロトタイプ

鳥や魚、そして昆虫たちは、トイレットを必要としない。
すでに一般化されたシステムを無意識に利用する
宇宙船の優れたユーザたちだ。

バックミンスター・フラーの最初の量産プロトタイプは
1938年のトイレットと浴室の合体した
ダイマクション・バスルームの金属製品であった。

画家の最初の絵が将来を潜在的に決定するならば、
彼は明らかに建築家志向ではなかった。
その浴室には、マニボールドが部品として設計されたが、
水洗トイレットではなかったので、外部へは無管であった。
この自律的なエネルギーの循環をデザインした
彼は明らかにプロダクトデザイナー志向ではなかった。
住宅が自律的でなければ、地下資源に依存しなければならないと考えたのは
1927年である。

エネルギーの設計までを許容する職業は、いまでも
発電所やプラント、そしてエンジンの設計者のように
かなり限られている
そして彼らはデザイナーという意識をもっていないだろう。

建築家やプロダクトデザイナーが提案するエコロジーデザインが、
自律的エネルギーの設計に関与しない限り、
住宅のエネルギーは効果的に利用できないだろう。
せいぜい太陽光パネルや壁面の断熱効果を主張する程度だ。

建築家が新築の家に指定する電子化された最新式の高価なトイレは、
常に有管である。それによって、最新式のエコハウスは、
無管ではなくなる。
そして、有用なエネルギーを再循環できるシステムを
デザインできるプロダクトデザイナーは
建築家やユーザの望む美しいトイレットという住宅部品を
自らのデザインによって陳腐化しているだけである。

無管トイレットは、特殊ではない。
大気圏外の宇宙では、外部に依存しない
無管システムでなければ、船内では生存できない。
排泄物は太陽光のように貴重なエネルギーの集合体だ。
無管は一般化されたシステムを意味している。

水洗トイレットへの批判が、全世界的にエコロジー化の対象から外されているのは、
非論理的である。

モデルと概念

知るのは状態であり、理解するのは化学反応である。
水素は、宇宙に満ちあふれている。
モデリングのないシナジェティクスは、
水素に出会わない酸素だ。

私は、この一ヶ月間、18年前の数学論文の
モデリングに再び苦しんでいた。

そしてついに、これまでにない概念を構築した。
原理の発見とそのモデリングには、同時性がない。
とくに、概念間の操作が複雑な場合には。

そして、結果的に以前のモデリングは完璧で
どんな変更も見られなかったが、
新たな概念がモデリングの構造と意味を新しくした。

そして夜も白む頃、窓を開け放ち、リヒテルの平均律を聴く。
それ以外にこの高まりを平均化することはできない。
シナジェティクスの永遠性の視覚化に、
数学は楽器のような役割がある。
楽譜は、秩序づけられた経験だ。

超包括化主義者

専門化主義とは、自分のできないことを
他の専門家に依頼することである。

総合化主義とは、自分または他者のしたいことを
複数の専門家に依頼することである。

包括化主義とは、宇宙の要求を実現するために
統合化のテクノロジーを自ら発見することである。

専門化主義の専門化が超専門化主義であるように、
総合化主義の総合化が超総合化主義であるように、
包括化主義の包括化は超包括化主義である。

しかし、超包括化主義者はもはや人間ではない。
何もしないですべてを為す(do everything with nothing)
バイオスフィアまたはガイアのような非人格的な存在である。

透明なテンセグリティ・エデンドーム

内部から外部を見るよりも、外部から内部は
より美しく見える。
宇宙飛行士の言葉を信じて暮らしている人類は多い。

直径7m以上の透明なエデンドームに暮らすと
内部から外部はより美しく見える。
空はわれわれの最初のシェルターだ。
どうして外部と呼べようか。

これは私の5年間の経験に基づいている。

シナジェティクスを学ぶ

包括主義者バックミンスター・フラーを理解する
最良の方法とは何かと聞かれたら、
シナジェティクスを学ぶことだと答えるだろう。

なぜなら、自分のことは最後に考える習慣ができてくるからだ。
それは、何かを学ぶ学生のなかで、もっとも異なる傾向が芽生える。
例えば、独創性、
つまりサバイバル技術だ。
デルス・ウザーラのような知性だ。

テンセグリティ・モデルの作り方

テンセグリティ・モデルの設計方とその制作には、
その人のテンセグリティの概念の理解の深さと
エンジニアリング(engineering)のほとんどすべてが表れると考えてよい。
構成要素の単純さとその相補性から生じるために
人為性から定義するデザインの限界が、すべて見えてしまうからだ。

エンジニアリングとは内部に生じさせる巧みな処理力である。
内部から生じるこのベクトルを無視したり、
テンセグリティ概念をその起源からの理解を軽視すると、
骨と筋肉と言った生物的アナロジーや
非連続の連続と言った量子物理的アナロジーで満足することになる。
さらに反家父長的社会構造といった社会学にまで拡張すると、
すべて純粋な存在が具体性に置き換えられていく過程で生じる重大な誤謬について
無視できなくなるだろう。
なぜなら、発見者と発明者( 1927年のバックミンスター・フラー以上には遡れない)は、
そのようなアナロジーとはたいてい無関係に発見または発明をしているという事実である。

ではいったい何に触発されてそれが可能であったのか。
私には、人間のデザインを越えたテクノロジーを受け入れているか否かで
エンジニアリングのベクトルの向きが決定されているとしか思えない。
内部へか外部へかである。
内部が enginneringならば、
外部は exgineeringが対応するが、辞書には存在しない言葉である。

テンセグリティ・モデルほど作る人のエンジニアリングの度合いを表すものはない。
そして多くのデザイナーがテンセグリティモデルに挑戦するが、
主にexgineeringの度合いを高めたデザイナーは、
伸度の高いテンション材を選ぶだろう。形態だけは急いで複製できるからだ。

テンセグリティ・モデルは高度な単純さと高潔さを具現する。
『コズモグラフィー』を代表する原理モデルだ。
けっして高級なコーヒーテーブルに甘んじることはないだろう。
テンセグリティは人類の2億戸の住居のために生まれたのだから。

プライムデザイナー

「学を為すは日に益す。道を為すは日に損ず。
之を損じてまた損じ、以って為す無きに至る。
為す無くして而も無さざるはなし。 」老子

フラー的メタフィジクスの
do more with less は、
老子的メタフィジクスでは、
do everything with nothing
に極限化される。
老子は、最初のプライムデザイナーだ。