投稿者「synergetics」のアーカイブ

最初の量産用プロトタイプ

鳥や魚、そして昆虫たちは、トイレットを必要としない。
すでに一般化されたシステムを無意識に利用する
宇宙船の優れたユーザたちだ。

バックミンスター・フラーの最初の量産プロトタイプは
1938年のトイレットと浴室の合体した
ダイマクション・バスルームの金属製品であった。

画家の最初の絵が将来を潜在的に決定するならば、
彼は明らかに建築家志向ではなかった。
その浴室には、マニボールドが部品として設計されたが、
水洗トイレットではなかったので、外部へは無管であった。
この自律的なエネルギーの循環をデザインした
彼は明らかにプロダクトデザイナー志向ではなかった。
住宅が自律的でなければ、地下資源に依存しなければならないと考えたのは
1927年である。

エネルギーの設計までを許容する職業は、いまでも
発電所やプラント、そしてエンジンの設計者のように
かなり限られている
そして彼らはデザイナーという意識をもっていないだろう。

建築家やプロダクトデザイナーが提案するエコロジーデザインが、
自律的エネルギーの設計に関与しない限り、
住宅のエネルギーは効果的に利用できないだろう。
せいぜい太陽光パネルや壁面の断熱効果を主張する程度だ。

建築家が新築の家に指定する電子化された最新式の高価なトイレは、
常に有管である。それによって、最新式のエコハウスは、
無管ではなくなる。
そして、有用なエネルギーを再循環できるシステムを
デザインできるプロダクトデザイナーは
建築家やユーザの望む美しいトイレットという住宅部品を
自らのデザインによって陳腐化しているだけである。

無管トイレットは、特殊ではない。
大気圏外の宇宙では、外部に依存しない
無管システムでなければ、船内では生存できない。
排泄物は太陽光のように貴重なエネルギーの集合体だ。
無管は一般化されたシステムを意味している。

水洗トイレットへの批判が、全世界的にエコロジー化の対象から外されているのは、
非論理的である。

モデルと概念

知るのは状態であり、理解するのは化学反応である。
水素は、宇宙に満ちあふれている。
モデリングのないシナジェティクスは、
水素に出会わない酸素だ。

私は、この一ヶ月間、18年前の数学論文の
モデリングに再び苦しんでいた。

そしてついに、これまでにない概念を構築した。
原理の発見とそのモデリングには、同時性がない。
とくに、概念間の操作が複雑な場合には。

そして、結果的に以前のモデリングは完璧で
どんな変更も見られなかったが、
新たな概念がモデリングの構造と意味を新しくした。

そして夜も白む頃、窓を開け放ち、リヒテルの平均律を聴く。
それ以外にこの高まりを平均化することはできない。
シナジェティクスの永遠性の視覚化に、
数学は楽器のような役割がある。
楽譜は、秩序づけられた経験だ。

超包括化主義者

専門化主義とは、自分のできないことを
他の専門家に依頼することである。

総合化主義とは、自分または他者のしたいことを
複数の専門家に依頼することである。

包括化主義とは、宇宙の要求を実現するために
統合化のテクノロジーを自ら発見することである。

専門化主義の専門化が超専門化主義であるように、
総合化主義の総合化が超総合化主義であるように、
包括化主義の包括化は超包括化主義である。

しかし、超包括化主義者はもはや人間ではない。
何もしないですべてを為す(do everything with nothing)
バイオスフィアまたはガイアのような非人格的な存在である。

透明なテンセグリティ・エデンドーム

内部から外部を見るよりも、外部から内部は
より美しく見える。
宇宙飛行士の言葉を信じて暮らしている人類は多い。

直径7m以上の透明なエデンドームに暮らすと
内部から外部はより美しく見える。
空はわれわれの最初のシェルターだ。
どうして外部と呼べようか。

これは私の5年間の経験に基づいている。

シナジェティクスを学ぶ

包括主義者バックミンスター・フラーを理解する
最良の方法とは何かと聞かれたら、
シナジェティクスを学ぶことだと答えるだろう。

なぜなら、自分のことは最後に考える習慣ができてくるからだ。
それは、何かを学ぶ学生のなかで、もっとも異なる傾向が芽生える。
例えば、独創性、
つまりサバイバル技術だ。
デルス・ウザーラのような知性だ。

テンセグリティ・モデルの作り方

テンセグリティ・モデルの設計方とその制作には、
その人のテンセグリティの概念の理解の深さと
エンジニアリング(engineering)のほとんどすべてが表れると考えてよい。
構成要素の単純さとその相補性から生じるために
人為性から定義するデザインの限界が、すべて見えてしまうからだ。

エンジニアリングとは内部に生じさせる巧みな処理力である。
内部から生じるこのベクトルを無視したり、
テンセグリティ概念をその起源からの理解を軽視すると、
骨と筋肉と言った生物的アナロジーや
非連続の連続と言った量子物理的アナロジーで満足することになる。
さらに反家父長的社会構造といった社会学にまで拡張すると、
すべて純粋な存在が具体性に置き換えられていく過程で生じる重大な誤謬について
無視できなくなるだろう。
なぜなら、発見者と発明者( 1927年のバックミンスター・フラー以上には遡れない)は、
そのようなアナロジーとはたいてい無関係に発見または発明をしているという事実である。

ではいったい何に触発されてそれが可能であったのか。
私には、人間のデザインを越えたテクノロジーを受け入れているか否かで
エンジニアリングのベクトルの向きが決定されているとしか思えない。
内部へか外部へかである。
内部が enginneringならば、
外部は exgineeringが対応するが、辞書には存在しない言葉である。

テンセグリティ・モデルほど作る人のエンジニアリングの度合いを表すものはない。
そして多くのデザイナーがテンセグリティモデルに挑戦するが、
主にexgineeringの度合いを高めたデザイナーは、
伸度の高いテンション材を選ぶだろう。形態だけは急いで複製できるからだ。

テンセグリティ・モデルは高度な単純さと高潔さを具現する。
『コズモグラフィー』を代表する原理モデルだ。
けっして高級なコーヒーテーブルに甘んじることはないだろう。
テンセグリティは人類の2億戸の住居のために生まれたのだから。

プライムデザイナー

「学を為すは日に益す。道を為すは日に損ず。
之を損じてまた損じ、以って為す無きに至る。
為す無くして而も無さざるはなし。 」老子

フラー的メタフィジクスの
do more with less は、
老子的メタフィジクスでは、
do everything with nothing
に極限化される。
老子は、最初のプライムデザイナーだ。

テンセグリティ・ビレッジ

オールドマンリバーズ計画(1972)では、
土地と住宅はもはや所有ではなく、エネルギーの一つの美しい受容器であり、
エネルギーの変換器であった。
だれも自分だけの空間にお金を支払ったりしない、
最初の無線、無柱、無管の都市空間だ。
(現在の光ファイバーは19世紀的な有管テクノロジーである。)
70年代に構想されたこの宇宙船地球号のクレーターが、
透明な被膜を支えるテンセグリティ構造によって覆われた瞬間に、
インダストリーが生んだ詩人のビジョンは永遠に極限化されたに違いない。

シナジェティクスキャンプでは、可能な限り
講座生による自主デザインを採用する。

アジア的差し金師

5重の塔も木造船の建造過程にも
図面は存在しない。

図面は後からやってくる。日記に書き記す現実の出来事のように。
最初はひらめきだ。次にモデルを思考するのは
頭ではなく、むしろ手だ。

シナジェティクス・モデリングにも図面は不要だと開眼すれば、
差し金師への重要な手がかりになる。