デザインサイエンス(バックミンスター・フラー)」カテゴリーアーカイブ

続)ネクスト・エデンドーム

デザインサイエンスは構造とパターンの原理と
他の物理学的な原理とを調整するだけではない。

シナジェティクス原理の新たな発見に遭遇するための
コスモグラフィックな探究心に燃えた峻烈な試みでもある。

原理の発見は必ず訪れる。
次に、優れた発明への変換は遅れてやってくる。

しかし、それが生存のために不可欠であればあるほど、
その物質化はもっとも遅れてやってくる。  梶川泰司

ネクスト・エデンドーム

1983年の最晩年のバックミンスター・フラーの2層膜のテンセグリティシェルターは
まだコンセプト段階であった。
そのモデリングの遺産を継承したノーマン・フォスターもまだ実用化していない。

イギリスのエデンドームは、テンセグリティではなかった。
このエデンドームの建造には2層膜のための巨大な足場を必要とした。
空間構造を構築するための足場のコストは構造システムと同等になる。

この30年間、だれもフライズアイ以上には技術的にも経済的にもデザインできなかった。

21世紀のテンセグリティシェルターは
個人のためのほぼ永久的な耐久性をもった全天候型の2層膜シェルターである。
そしてエネルギーと構造は自律型のモバイル用テンセグリティシェルターである。

足場の建造は現地生産のための固体的な建築技術である。
超軽量のモジュール型または展開型のテンセグリティは足場の建造コストを排除する。

フライズアイですら、未だ足場を必要とするモノコックデザインである。 梶川泰司

Fly’s Eye Dome
designed by Buckminster Fuller

33′ diameter fiberglass produced by John Kuhtik

テンセグリティーーーーその懐胎期の終焉

テンセグリティに関して
その学術的研究レベルに期待ができないのは
統合する張力への直観が
海賊の遺伝子に埋もれたままだったからではない。

テンセグリティが体系化されるには
まだ冒険的モデリングが少なすぎる。

航空力学が体系化する以前に
ライト兄弟が実際に飛行実験に成功したように
テンセグリティ原理の発見から生まれるテンセグリティ理論は
シナジェティクス・モデリングと原寸大モデルでの
力学的テストを通じてのみ高度に単純化するだろう。

大学や企業の研究室からは生まれなかったテンセグリティは
バックミンスター・フラーの予測さえ超えた懐胎期間を終えて
いよいよ実用化の段階を迎える。

テンセグリティ——–構造とエンジニアリング

テンセグリティの構造デザインに独創はいらない。
圧縮材と張力材が統合された
構造の安定性に自己表現は不要だ。

鳥は無駄のない翼の形態と機能を自己表現するために
飛行することはしないだろう。

構造を自律させるための膨大な試行錯誤は
自己表現の対象ではない。

新たな構造原理の発見がこそが
前例のないエンジニアリングの閃きを
もたらすにちがいない。

概念

発明とは、
まず自分も含む誰かによって
形成された概念がすでにあり、
そこから
誰も達成できなかった機能を
デザインすることである。

発見とは、
すでに目に馴染んだ物や知識に潜んでいる、
誰も気づかなかった関係を
言語化する行為だけではなく、
目に見えない自然の原理をも
視覚化する行為である。

発見が同時に複数の発明をもたらすのは
概念の発見と発明を伴うからである。

発見と発明の目的化には
「はじめに概念ありき」ではなく
はじめに概念の発見と発明ありきなのである。

参照
犬のしっぽ
http://two-pictures.net/mtstatic/
2011年11月7日  発明と発見の違い

イノベーション

「世の中が必要としているものを探せ」
がイノベーションの基本条件だとしたら
それはイノベーションの追随者の思考法である。

70億の人類にとって
食糧やエネルギー、シェルターが不足している状態は
今まで1度も解決されたことはない。

70億の人類が必要としているのは
70億個のスマートフォンではなく、
個人が健康に生存するための
食糧とエネルギー、そして
個人が自律的に思考するための
20億機のシェルターである。

デザインサイエンスの目的論

プルトニウムは
安定した同位体を持たないから、
人間には
その標準原子量を定められない
唯一の元素である。

自然が
これほどまでのプルトニウムの量を
この惑星上に作らなかったのは
偶然ではなく、
プルトニウムがごく微量になるまで
必然的に待機してきたのならば、

なぜ自然は
DNAの起源を否定し
その複製過程を短時間で奪うことによって
生命現象を破壊する、
すべての政治経済システムを
許すのだろうか。

奪われる前に、
破壊される前に
このシステムを排除することは
エコロジーを支える
あらゆる種族維持のための
自衛である。

リダンダンシー

人間が人間的に生存するための正義と経済的進歩は
必ずしも政治革命の結果ではない。

社会を方向づけるのは、
つねにデザインの革命である。

しかし
アブノックスなモノと情報の増加によって
人間的に生存するための
生活器(シェルター)のデザインが
圧倒的に不足してきたのである。

生存にもっとも必要なデザインが
つねに不足しているからこそ
デザイン革命が社会を方向付ける機会が
非常事態ともに露出したのである。