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シナジェティクス・モデリング

経験とはけっして基本的ではない。
経験はつねに複合化されている。

概念的な一般化は本質的に経験(experience)に基づいているが
実験数値(experiment)から導かれた限定的な経験主義ではない。

原理の発見がかならずしも実験数値から一般化されていないのは、
すべての実験と経験は特別な場合だからである。

シナジェティクス・モデリングは経験の総体に関与する
包括的原理に接近するもっとも原始的な行為である。

「思考を声にする」行為と相補的な関係にあるだろう。

創造性

バックミンスター・フラーは
創造性(クリエイティビティ)という言葉を使わないようにしてきた。

創造性とは
宇宙に先験的に存在する諸原理の利用において
まったく先例のない独自の組み合わせを
発見していく行為とその過程に他ならないからだ。

つまり、
これまでデザイナーたちが目標としてきた「創造性」をまったく除外していることになる。
彼らの「創造性」への欲望が、
静的で美しいオブジェとして美術館などにコレクションされているかぎり。

思考の平均律

今日からシナジェティクス入門講座の後期の講義とワークショップが始まる。

人間は多くの時間を持っているわけではないから
同じ経験を講義で喋らないように心がけている。

講座生の貴重な時間は、
新しい経験を目録化する時間に使われるべきである。

その結果、私の講義は毎回たいてい連続3時間を超える。
終わるのが深夜になることもある。

やむなく欠席した人は、ダウンロードして講義を聞くことになるが、
他者の経験の目録化のライブに退屈しないのは
「声に出して思考する」時の即興性に関連しているだろう。

この即興性は
やがてシナジェティクス・モデリングの相互作用に深く影響を与えることになる。
モデル言語の形成には明らかに話す行為が介在しているからである。

シナジェティクス・モデリングは
原理の存在の確認を目的としているが、
「声に出して思考する」の過程で、思考の自発的な流れを誘発し、
ついには新たな原理の発見をもたらす装置となる。

G・グールドが声を出しながら演奏するバッハの平均律のように
思考にも平均律が発生する。

音程を均等な周波数比で分割した音律があるように
経験を同期する周波数域に変換できるか、できないかで
対象化することができる。

この経験にはすばらしく原始的な喜びがある。
言語の形成に参加する以上のコミュニケーションはないのかもしれない。

メタフィジクスのデフォルト

言葉は経験を同定するために
少なくとも二人の人間によって発明されてきた。

シナジェティクスの自己教育は思考のライブだ。
自己教育とは自分で自分を教える過程に横たわる
理解のための操作主義でもある。

モデリング言語を発見するためには
少なくとも複数の人間が、
異なった経験と素材でモデルを形成しなければならない。

これまでのシナジェティクス講座で形成された言語と概念は
『コズモグラフィー』と『シナジェティクス』からの
引用だけではないことは明らかである。

同じ理解は学べないし、同じ理解を求めることはできない。
もっとも重要な学習と教育の共通した理解のデフォルトは
非同時的にしか形成されないのである。

メタフィジクスのほとんどは
非同時的な宇宙に属している。

720度

すべての多面体は平面から 720度を奪った状態であり、
さらに球は多面体に720度を贈与した関係である。

自己の周囲は360度のパノラマではない。
周囲の角度の総和は720度である。
有限と無限の差異は、この720度にある。

私はこの角度をテトラマと呼んでいる。

プラグマティスト

「バックミンスター・フラーはプラグマティストである」
これは多くのフラー論や解説書に見られる決定的な誤謬の一つである。

基本的概念をよりプリミティブにその意味を他の概念との関係によって
それまでの定義に依存しないように明確にするために集中する行為、
つまり、それらの概念を自らの行為にむけることによって、
これまでになく鋭利に基本的概念を洞察できるシナジェティクスを発見した。

この思考方法で対象となる基本的概念を視覚的に再生する行為が
シナジェティクス・モデリングであり、
新しい意識の状態に到達する現象学的方法である。

これは 20世紀のもっとも優れた直観である。
なぜなら、それまでのメタフィジクスの真理はどんな方法でも
「暗黙の堰堤」と問題を起こしていたのだから。

分割について(frequency vs tessellate)

シナジェティクスは、
ある図形が重複することなく
平面を埋め尽くす場合の<tessellate>という基本概念を
使用してこなかった。
なぜなら平面は存在しないからである。

シナジェティクスは、
5回対称性のあるペンローズタイリングでさえ、3次元的に解決してきた。

これらはシナジェティクス・モジュールと分割数(frequency)で証明される。

アインシュタインの操作主義的方法論 2

彼らの操作主義には共通点がある。
〈操作主義的なプロセス〉は〈自明の理〉から思考を絶縁させたことである。
それゆえに、シナジェティクスは自らの孤立と孤高を飛び越えてわれわれを直観的な理解に結びつける。

第6章で紹介されるシナジェティクス・モジュール理論は、アナロジーを超えた素粒子論であるが、
これらのモジュールの発見こそは操作主義的数学を代表する収穫である。
シナジェティクス・モジュールにおける対称的分割から最初の非対称的分割を構成する概念は、
この収穫によってわれわれが分割を規定する経験的操作
または手段と同じであるという前提を見事に証明している。

(残念ながら、第6章では表面積と体積の<シナジー的誤差>を生じさせる
アインシュタイン・モジュールの紹介は省略されている。
新たな大型のシンクロトロン加速器が完成するまで、
アインシュタインを理解したと自負する物理学者たちは、
このEモジュールの存在には無関心を装っている。
エネルギーには形態がないという〈自明の理〉にしたがって。)

フラーの操作主義は、経験主義の成熟さを市民社会に求めなかったが、馬を早く走らせるために、
その鼻先に人参をぶらさげるタイプの実験科学者にとってもふさわしくない野生の思考が潜んでいる。
彼はプラグマティズムのように経験的に、観察という経験から原理を発見できるとは思わなかった。
『コズモグラフィー』で登場するモデル群は、数学的に証明可能な、
しかし美と直観に支えられた新しいメタフィジクス言語だ。
自ら構築した発見のインデックスさえ模倣しないシナジェティクスは、
ついに自然を模倣しなかった。

バックミンスター・フラーがアインシュタインの操作主義的方法論に深く影響されたことこそ、
誰にも似ていない理由である。

アインシュタインの操作主義的方法論 1

『コズモグラフィー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社2007)は
「アインシュタイン的宇宙の夜明け」から始まる。
第3章では、シナジェティクスの思考の独自性の根源がアインシュタインの操作主義的方法論に
深く影響されていたことが告白されている。
アインシュタインに面会したとき、彼の思考のパターンを分析して驚かせたフラーには、
すでにシナジェティクスの諸原理の発見の経験があった。
量産型のダイマクシオン・カーやダイマクシオン・ハウスをデザインする前に、
アインシュタイン自身が同意した科学哲学的な理論構築、つまり、1934年の予測的な論理に基づいて、
『月への九つの鎖』の出版前の手書き原稿でフラーが試みたことは、
最初の包括的なアインシュタイン論にすでに到達していたのである。

試行錯誤の末、偶然にある思考に到達し、さらにその思考を相対性理論とその方程式にまで
発展させたアインシュタインの思考の過程を分析し解釈した方法論こそは
初期のシナジェティクス原理の一つである。彼は思考の対象よりも思考の方法に注目した。
「従来の科学における視点とアインシュタインの視点(そして結果的に利用した方法論)とのちがいは、
〈制御された条件〉内に隔離して実験をしようと試みていた従来の科学とは対照的に、
実験に付随するあらゆる環境条件と出来事をつねに包括的に考察の対象としていたことにある。」

1947年のブリッジマンの科学的な操作主義(『現代物理学の論理』)よりも早く、
1927年の『4D』からこうした包括的な情報と鋭敏に焦点を合わせた情報の両方に
関心を向ける方法論を徹底化した結果、シナジェティクス諸原理とその相互作用の目録化が生まれた。
その具体的な方法論は、フラーの絶筆となった1983年このシナジェティクス入門書においても、
原理とその発見へのプロセスが豊富な図版とともに記述していくシンタックスに反映されている。

その結果『シナジェティクス1,2』の出版後に発見されたモデルと概念が
『コズモグラフィー』で書き下ろされていることには驚く。
87歳の哲学者は操作主義の可能性に絶えず挑んでいた。

シナジーとは

バックミンスター・フラーが『シナジェティクス』を書いた理由は、
『コズモグラフィー』の第2章 「人間の固有なマインドの発見」から引用できる。

「われわれが〈シナジー〉と呼ぶに至った原理、すなわち、システムのある部分のふるまいをただ個別に考察しても予測できないシステム全体のふるま いが、実験に基づいて証明できることに圧倒されたからである。シナジーは、超専門分化に陥った現代社会に対する反アンチテーゼ定立である。全人類が経験し てきた歴史の重要性を学習する課程において、〈シナジー〉以外に思考を効果的に導く卓越した概念は、これまでもそしてこれからも発見されることはないだろ うと私は感じていた。」

つまり、〈シナジー〉を効果的に導く卓越した教育プログラムを超専門分化に陥った教育に求められないことは明らかである。
もっとも包括的な〈シナジー〉はシナジェティクスの学習にある。
シナジーは、原理的にハイブリッド構造ではないので従来の教育法や教育プログラムと同居はできないことが
私がインターネットと利用した最初の双方向の同時的・非同時的なシナジェティクス講座を開講した歴史的な理由である。