テンセグリティ ワークショップ」カテゴリーアーカイブ

用途開発者(Utility Player)

生命を脅かすような緊急事態に対応できる
デザイナーや建築家はほとんどいない。

人々が陸に固定された状態で生活する空間と、
それに収容される道具類を望み
依頼してきたからである。

難民化を余儀なくさせられる
この21世紀の種々の緊急事態には、
いくつものデザイン作業がこなせる
真の包括主義者こそが必要である。

生命を安全に保護するための空間や
移動用のtrimtabを作り出すための、
あるいは
宇宙に潜む新たな機能や原理を発見するための
思考のモデリング用のほとんどの部品は、
すでに既製品の中に存在している。
(たとえば、素粒子物理学にとっての霧箱や水素の泡箱
ーー人間には見えない荷電粒子や
ニュートリノの飛跡を検出するための装置ーーのように)

そして、
その既製品の種類と数は人類の数よりも多い。

既製品の新たな相互関係を発見し、
また、それらを結合して予想外の機能を発見するのは、
クライアントの望む付加的で2次的な形態や色彩の再現を
主目的にしているデザイナーではなく、
包括的なデザインサイエンティストだ。

もっともありふれた既製品から
新たな用途を開発するデザイナーに、
クライアントは不要だ。

Fig. 321.01 Universe as “A Minimum of Two Pictures”: by RBF
Evolution as a transformation of nonsimultaneous events: the behavior of “Universe” can only be shown with a minimum of two pictures. Unity is plural and at minimum two. (Drawings courtesy Mallory Pearce)

クリティカル・パスにおける共同性

「すべての細胞はテンセグリティである。」

その細胞が同型の基本構成単位物質を扱う生化学工場から生産されるように
すべてのテンセグリティ・シェルターは
同型モジュール(=最小の構成単位)を扱う
デザインサイエンス工房から生み出される。

その工房はテンセグリティシェルターで覆われ
食糧、エネルギーを
同時的・非同時的に生産するコロニーを形成するための
共同性を備えている。

モバイル先駆者

広場や公園、パーゴラ、
屋上のビオトープやグリーンハウス、
どれも背戸には繋がらなかった。
みんな緑のエコロジーに囚われすぎていた。

背戸(=バックドア)は
いつでも開いている広葉樹の森への入口だ。

このドアから入る
分解可能なモバイル・テンセグリティシェルターを
デザインしよう。

森は移動する樹木たちのコロニーだ。

無線、無軌道、無柱、無管の
フィジックスとメタフィジックスを
携えた先駆者たちの
緑を超えたエコロジー。

2011年度 デザインサイエンス講座開講の準備 その2

太陽エネルギーという日々の収入源から構成された
多様な派生物と副産物でデザインされた人工物は
これまで以上の生活水準を維持できる。

この生活水準を達成・維持し得る方法こそが、
パイプと送電線そして料金メータを介した
少数の人間による狡猾で長期的な搾取から
人間を解放するノウハウであることは明らだ。

この解放のための知識と技術、
そして資本が統合されていないだけである。

シナジェティクス・モジュール

原子は核子というモジュールから構成されている。
統合性とは、そのモジュール群の関係性である。
そして
そのモジュール群は、
さらなる関係性に置換可能であるというところまで
シナジェティクスモジュールは物質化している。

シナジェティクスは
巨大な加速器(荷電粒子を加速する高価な装置)を建造しなくとも
クォークの関係性を発見している。

失敗の神秘(ミスティク・ミスティーク)

<undo>
とは元に戻すである。
どんなアプリでもundo機能がなければ、
仕事はできない。
<undo>とは
間違うことを前提にした
最小限のtrimtabである。

クリティカル・パスのフィードバック機能は
この最小限のtrimtabの集積であり
失敗の神秘(ミスティク・ミスティーク)
(『宇宙エコロジー』バックミンスター・フラー+梶川泰司 第2章 美術出版社 2004)
の発見からデザインされている。

ジオデシック主義者と張力主義者の誤謬

ジオデシック主義者が最良のジオデシック構造をデザインできなかったように、
張力主義者は最良のテンセグリティ構造をデザインできなかった。
ジオデシック主義者も張力主義者と同様に、
バックミンスター・フラーがジオデシック理論よりも
テンセグリティ原理を早く発見している事実を認識していない。