シナジェティクス数学

構造とパターンから独立した数字は無意味である。

構造とパターンとの新たな関係を発見する
シナジェティクスの探査方法は
形態的類似からでも言語的類似からでもない。
まして幾何学的相似からでもない。

子どもの遊びは数学的経験の宝庫だ。
経験は秩序化できる
もっとも身近な数学的対象だ。

しかし、純粋にその秩序を取り出すには
シナジェティクスモデルとモデル言語との相互作用を
習得しなければならない。

シナジェティクスは
自然界の現象や異分野の問題解決策に学べば
ほとんどの課題は簡単に解決できるという戦略的理論(analogical thinking)ではない。

現実を超えるために
シナジェティクスモデルが内包するモデル言語が
形態的・言語的アナロジーを超えることができたなら
シナジェティクスによる経験の一般化は
自然を模倣してはいないだろう。


Fig. 1032.12 Convex and Concave Sphere Packing Voids: by RBF

テンセグリティの破壊実験

コンピュータシミュレーションは
模擬実験の手法である。
科学的な構造計算の信頼性は
原寸大モデルの破壊実験からのみ確立されてきた。

その原寸大の破壊実験から
テンセグリティの<安全率>は
最新のコンピュータシミュレーションによる
構造計算値よりも小さいことが分かるだろう。

連続したテンションネットワークの統合作用がもたらす
<未知なる補償作用>のために
重さの増加を伴わないリダンダンシーが増加する度合いは
圧縮材のみから構成されたジオデシック構造よりも大きい。

テンセグリティ球においては
単位体積あたりの重量増加と強度の増加は
明らかに半径の増大に反比例する。

テンセグリティの破壊実験において
もっとも困難なことは
テンション材が連続し、圧縮材が非連続で、
大地から完全に自律した純粋な原寸大のテンセグリティ構造を
経済的に短時間に制作できないことにある。

とりわけ、テンション材の張力調整にターンバックルを使用する場合の
アセンブル方法は正確さと軽量化において未だに絶望的である。

参照
「失われていく過程について」
犬のしっぽブログ http://two-pictures.net/mtstatic/

シナジェティクスとデザインについて

現実は物理的である故に
現実化によって得られる認識は
つねに不完全である。

原理から生成される
生物的・物理的形態(form)よりも
シナジェティクスモデルは
原理により接近する。

19世紀の光速度の絶対値を測定する装置のデザインが
回転鏡による方法によって
反射光の像ができる位置のズレの発見から生まれるには
光の反射という光学原理を歯車駆動に関する工学原理とを
調整する行為を必要とした。

しかし、その行為は
光に速度があるという<作業仮説>がなければ生まれなかった。

デザインは
ある<作業仮説>に基づいて
複数の原理を
互いにより接近させるための
操作主義的な行為である。

Dare To Be Naive

Dare To Be Naive

1975年7月2日 バックミンスター・フラーの講義 および
『シナジェティクス第一巻』の序文 <Moral of the Work>から

バックミンスター・フラーが言うNaiveとは
経験不足がまねく素朴なふるまいを意味する。
したがって知性の方向性は、anti-naiveである。

しかし、彼は
生得的で原始的な思考方法の展開力をNaiveに託していた。

梶川泰司

シナジェティクスモデルについて

幾何学モデルが
観察された対象を幾何学的形態または幾何学的関係に変換または置換されたモデルである。
例えば、バッキーボールがアルキメデスの準正多面体に置き換えられるように。

シナジェティクスモデルにおいては
観察行為と文節化による統合作用との共鳴状態を物質化したモデルである。
この進展する共鳴関係によって
残余の観察行為または文節化による統合をこれまでになく
減少させることができるのである。

これが幾何学モデルとシナジェティクスモデルとの相違である。

<コズモグラフィー>には
この未知なる共鳴状態の探求が不可欠である。

参照
『コズモグラフィー  シナジェティクス原論』
バックミンスター・フラー著 梶川泰司 訳・解説 白揚社 (2007/09)

合金について

付加価値の増大現象に気づいた20世紀後半の企業家たちは
とりわけ予期しない飛躍的な経済現象を
シナジー効果と呼びはじめた。

しかし、本質的に予測できないシナジー効果は
彼らの企業経営のように計画的に狙うことはできない。

計画的に出現した<合金>はまだ存在しない。

すべての<合金>は発見された後に
その製造方法が経験則的に利用されてきたのである。

一般化できないこの経験則こそ、
偶然性と直観による非物質化された特殊なシナジーであり
ノウハウという重要な重さのない合金を形成している。

Fig. 321.01 Universe as “A Minimum of Two Pictures”: Evolution as a transformation of nonsimultaneous events: the behavior of “Universe” can only be shown with a minimum of two pictures. Unity is plural and at minimum two. (Drawings courtesy Mallory Pearce)—-RBF 1975

シナジェティクス教育について

何がシナジェティクスを形成するかを
教育することは不可能である。

専門分化した技術者や科学者たちが
秩序化する基準とした科学的公式のみが
教育可能であるように
シナジェティクスの数学・科学原理だけが
学習可能である。

ただし
数式を視覚化するだけではなく
モデル言語、つまり構造とパターンいう先験的シンタックスに対して
つねに遅れてやってくるセマンティックスをも統合する方法は
教育可能である。

最初の客観的行為

シナジェティクス原理の発見があるなら
そして少なくともその論文がすでに公開されているなら
他者に対するその存在の科学的証明や
まして科学的な興味や知識のない広範囲な人々への
効果的なプレゼンはそれほど重要ではない。

これは専門分化を意味しない。

個人が科学的に知り得たこと
最初のその認識だけが
宇宙との相互作用を深める最初の客観的行為である。

つまり、他者への科学的な証明よりも
優先されるメタフィジックスである。

エフェメラリゼーションについて

<形態が機能に従う>デザイン理論(=バウハウスの中心思想)の終焉は
バックミンスター・フラーがテンセグリティ原理の発見とそのモデル化と共に、
エフェメラリゼーションとして概念化した瞬間から始まっていた。

つまり、真の機能は非物質化する傾向を見抜いた瞬間から
形態は機能にとって二次的な要素となったのである。

大量生産の前提を構成する工場設備には依存しないこの産業革命は
情報量にも依存しなかった。

哲学が産業に影響を与えるほど普遍的な問いを発する
最初のメタフィジックスの時代にいるのである。