自動気象シェルター(climate autonomous shelter)

構造において、圧縮力の限界を超え、
さらに構造の大きさの限界を超越することが
許されているような構造は
テンセグリティ以外に存在しない。

テンセグリティ構造は、形態デザインの自由と共に始まるのではなく、
圧縮力の境界と、超えるべからざる自重(=重力)とともに
始まるのだということを知っている。

食料・エネルギー・水の生産と再生のすべてを行うことが許されているような
環境制御(自動気象シェルター=climate autonomous shelter)は
テンセグリティと共に物質化される。

経済的な自由

自由を奪うための政治権力は
もっぱら経済的な自由を少しずつ減らすことで十分に機能している。

ほんとうに大切な自由は、経済的な自由ではない。
エネルギーと食料、そして水からの自由だ。

エネルギーと食料と水から、自由な時間と空間が生成できる。

自由な時間と空間をもっとも効果的に現実化できるのは
安全で、経済的で、耐久性を兼ね備えたモバイル・シェルターである。

バイオスフィアを自由に移動する
モバイルシェルターという宇宙船がデザインされていないのだ。

この現実を大気圏外テクノロジーと比較すれば
意図的に遅延させられた驚くほどの非経済的世界として
受け入れられるだろう。

光合成モバイルシェルター

地球から1.5億キロ彼方で輝く太陽光を使う
光合成を手放した人類の課題を
科学的に解決する方法はクリティカル・パスにある。

自由な心と
自律的モバイルシェルターによって
再びバイオスフィアの生きた現実と出会えるのである。


『クリティカル・パス―宇宙船地球号のデザインサイエンス革命』
バックミンスター・フラー著 梶川泰司 訳 2007年 白揚社

ポジティブとネガティブ

社会や学校では、今なお
ポジティブとネガティブは
互いに反転可能な鏡像関係に置かれている。

正義とモラルは
悪と懲罰にそれぞれ置換できる。
そして、
明晰は、愚鈍と非論理性に、
裕福は、貧困と不足に、
愛情は、暴力と無関心に、
知識は、無知と競争に。

自然は、ポジティブとネガティブを
互いにネガティブな関係で構築しない。

ネガティブな存在は
けっしてポジティブな存在の反転からは生成されない。

中性子が電子(ベータ粒子)と反電子ニュートリノを
放出して陽子になる現象のように
電子が陽子から生成されないように
自然は非鏡像的な存在を共存させている。
同時的または非同時的に。

そして、テンセグリティ構造における張力は
圧縮力と非鏡像的に共存し、圧縮力からは生成されない。

圧縮材からのみ思考した構造とその歴史は
決定的に反自然であり
地震などの種々の振動によって構造の崩壊を防止するために
自然に対立する固体的構造しかデザインしなかったのである。

シナジェティクス教育

領域的、部分的な知識ではなく普遍的包括的な知を求めるメタフィジックスは
形而上学と訳されたまま抽象的な思弁哲学に堕落させられ、
現在すべての義務教育課程で完全に除外された。

はじめから非同時的で無尽蔵にデザインされている
子どもの動機と自発性は、社会にとって潜在的な脅威だからである。

ほとんどの教師にとって
シナジェティクス教育は耐えられない驚異である。

子供から専門分化のための教育を否定される時ほど
存在理由を問われる事態はないからだ。

知識が子供を教育しているのではない。
シナジェティクス教育では、子供が自らを教育できる。

そして私は、しはしばシナジェティクスの研究を
子供たちと共に研究している。

自発性に基づく創造性は、高等教育からでは遅すぎるだけではなく
もはや教育不可能に近いが
自発性に基づく創造性によって
子供と私は互いにコミュニケーションできるのである。

モデル言語は、絶えず生成される。

臨床テンセグリティ再考

テンセグリティに関する理論や体系は
単なる歴史と共に過ぎゆく存在に過ぎず
ある種の物質と工学の転移と衰退に過ぎない。

しかしテンセグリティには、
観察から原理が発見されなかった希有な歴史性があり、
これは非体系に属するものであり、臨床テンセグリティの誕生に他ならない。

臨床テンセグリティの圧縮力と張力の相補的な
対比する概念と動的な均衡を補償する最適な工学の歴史こそ、
その真理を保ち続けていくにちがいない。

臨床テンセグリティは、構造の破壊を免れるための
共鳴現象を作動させるために
どのように対称性を導入し
あるいはそれを破壊し不要とするかの真理に関与している。

動的な均衡は有機体生命現象に限らない。

臨床テンセグリティは、つねに超軽量にデザインされ続け、
最終的には、浮遊可能な構造となる。

原理的選択へ

社会的選択とは、人間の知、行動や知覚、感性さえも
そうした全体を拘束し、
自由から逃亡するための選択のことである。

原理的選択の場は
シナジェティクスにある。

人間の自由をさらに拡大する自然の原理において
原理そのものを発見する場である。

幾何学だけではなく、記号のテクノロジーを
そして自己のテクノロジーを
根こそぎ作り替えるのではなく
自らを陳腐化するために。

物質の革命はその後だ。

「経験」するものへ

考える存在としてのシナジェティクスが
感じる存在として私のシナジェティクスと
同じ一つの主観として受容され始めた時がやってきた。

バックミンスター・フラーに初めてシナジェティクスを
プレゼンテーションしたその瞬間から
知性と感性の同一性をより単純化して「経験」するものへの統一が
けっして脅かされることはなかったのである。

いまも変わらない
経験された事実が
主観として受容された後にやってくるそのプロセスは。

経験された事実を秩序化する試みこそが
原理に導かれていくシナジェティクスである。

回転に逆らうだけの革命

竜巻では〈放出evolve〉と〈吸収involve〉は非同時的だが共存する。
回転に逆らうだけの革命(revolution)とは無縁だ。
テンセグリティには、竜巻に近い構造の自律性がある。

つまり、進化(=evolution)も
退化(devolution)もしないシステムである。

外力分散機能だけではない
構造の局所的破壊に対する補償作用は
未知(unknown)を統合するシナジーである。
シナジーは自然(nature)さえも統合する。

どんな政治的・経済的革命も、時代遅れである。