年別アーカイブ: 2007年

テンセグリティ・モデルの作り方

テンセグリティ・モデルの設計方とその制作には、
その人のテンセグリティの概念の理解の深さと
エンジニアリング(engineering)のほとんどすべてが表れると考えてよい。
構成要素の単純さとその相補性から生じるために
人為性から定義するデザインの限界が、すべて見えてしまうからだ。

エンジニアリングとは内部に生じさせる巧みな処理力である。
内部から生じるこのベクトルを無視したり、
テンセグリティ概念をその起源からの理解を軽視すると、
骨と筋肉と言った生物的アナロジーや
非連続の連続と言った量子物理的アナロジーで満足することになる。
さらに反家父長的社会構造といった社会学にまで拡張すると、
すべて純粋な存在が具体性に置き換えられていく過程で生じる重大な誤謬について
無視できなくなるだろう。
なぜなら、発見者と発明者( 1927年のバックミンスター・フラー以上には遡れない)は、
そのようなアナロジーとはたいてい無関係に発見または発明をしているという事実である。

ではいったい何に触発されてそれが可能であったのか。
私には、人間のデザインを越えたテクノロジーを受け入れているか否かで
エンジニアリングのベクトルの向きが決定されているとしか思えない。
内部へか外部へかである。
内部が enginneringならば、
外部は exgineeringが対応するが、辞書には存在しない言葉である。

テンセグリティ・モデルほど作る人のエンジニアリングの度合いを表すものはない。
そして多くのデザイナーがテンセグリティモデルに挑戦するが、
主にexgineeringの度合いを高めたデザイナーは、
伸度の高いテンション材を選ぶだろう。形態だけは急いで複製できるからだ。

テンセグリティ・モデルは高度な単純さと高潔さを具現する。
『コズモグラフィー』を代表する原理モデルだ。
けっして高級なコーヒーテーブルに甘んじることはないだろう。
テンセグリティは人類の2億戸の住居のために生まれたのだから。

プライムデザイナー

「学を為すは日に益す。道を為すは日に損ず。
之を損じてまた損じ、以って為す無きに至る。
為す無くして而も無さざるはなし。 」老子

フラー的メタフィジクスの
do more with less は、
老子的メタフィジクスでは、
do everything with nothing
に極限化される。
老子は、最初のプライムデザイナーだ。

テンセグリティ・ビレッジ

オールドマンリバーズ計画(1972)では、
土地と住宅はもはや所有ではなく、エネルギーの一つの美しい受容器であり、
エネルギーの変換器であった。
だれも自分だけの空間にお金を支払ったりしない、
最初の無線、無柱、無管の都市空間だ。
(現在の光ファイバーは19世紀的な有管テクノロジーである。)
70年代に構想されたこの宇宙船地球号のクレーターが、
透明な被膜を支えるテンセグリティ構造によって覆われた瞬間に、
インダストリーが生んだ詩人のビジョンは永遠に極限化されたに違いない。

シナジェティクスキャンプでは、可能な限り
講座生による自主デザインを採用する。

アジア的差し金師

5重の塔も木造船の建造過程にも
図面は存在しない。

図面は後からやってくる。日記に書き記す現実の出来事のように。
最初はひらめきだ。次にモデルを思考するのは
頭ではなく、むしろ手だ。

シナジェティクス・モデリングにも図面は不要だと開眼すれば、
差し金師への重要な手がかりになる。

モデル化(modelability)

自然を翻訳すると何かモデルができると考えられている。
例えば DNAの発見は、結晶学者が撮影したX線の映像を
生物学者が解析することから始まった。
そのDNAを解析するためには構造のアルゴリズムが必要であった。
その結果、DNAの発見には様々なDNAモデルが作られた。
各DNAモデルごとに異なったアルゴリズムが必要であった。

アルゴリズムとはなんらかの問題を解くための手順(オペレーション)のことである。
そして有力なルゴリズムに基づいて、新たなX線の映像が提供された。

自然を翻訳するためには、自然をモデル化するアルゴリズムが最初に必要だ
ということが発見されたのは、20世紀である。
ところが、自然を翻訳するとたいてい何か間違ったアルゴリズムができるのは、
自然が既知なる存在だけではなく、未知なる存在を含んでいるからである。

シナジーは、未知なる存在と既知なる存在とからなる自然を統合する宇宙である。

DNAが存在が証明されて、半世紀以上が経過したが、
生命を合成するシナジーにはほど遠いのである。
21世紀においても、運転手付きの自動車の販売は、つねに先送りされている。
Y.K

鏡像的見解

芸術は「私」である。科学は「われわれ」である。
と考えている人から、芸術も科学も生み出されたことはない。

なぜなら、
芸術は「われわれ」であり、科学は「私」であるから。
Y.K

スカイブレイク

一番だまし易いのは、観察者ではない。
2つ目がありながら、
同時に2つの対象物が認識できない目と脳の機能である。

例えば、一つの4面体を観察する場合、通常観察者は外部にいるしかない。
なぜなら、内部にいる場合、
同時に4面体のすべての頂点を捉える視野角さえももたない。
これは4面体と観察者との相対的な大きさの問題ではない。

ゆえに、4面体の内部と外部は同時に認識できない。

このことは、
ジオデシック・シェルターを組み立てる場合に顕著になる。
外部にいるアセンブラーは、内部の構造のパターンと互いに鏡像になるので、
完成したシェルターから見る自分を覆う総三角形のスカイブレイクに驚くだけではなく、
同時に一つの視野角で把握できない内部の構造パターンが
空間を心理的により大きく感じさせるのである。

閉じた球状パターンでは、内部の空間イメージは外部から想像する内部の空間イメージと
けっして合致することがないという人間の認識の限界に最初に気づいたのは、
アーティスト・サイエンティストである。
オスマン帝国が教会建築を取り入れ、球状空間によって
柱のない広大な礼拝堂空間をもつ建築様式を生み出した理由でもある。   Y.K

全方向の対話革命

トポロジー
バイオロジー
ジオロジー
そして
エコロジー
に共通な<logy>は科学や学問を表す接尾語である。
そして科学は対話である。
対話は、話すことであり聞くことである。
口学問だけではなく耳学問でもある。
読むことや書くことは、その次だ。

だから、科学の学習の最初は読書ではない。
シナジェティクス講座はもちろんテレビ電話(ichat)による
同時的対話から始まる。
シナジェティクスは、口学問だけではなく耳学問だけではない、
手学問(modeling)でもある。

21世紀の教育革命とは、全方向の対話革命である。
対話にキャンパスや建物、そして通学は不要だ。     Y.K

『クリティカル・パス』ーーー宇宙船地球号のデザインサイエンス革命

新たなブックデザインの第1版が白揚社から今月出版される。
既に最初の刷り見本が手元に届いている。
http://www.hakuyo-sha.co.jp/

クリティカル・パスの定義は、
1980年代後半のアメリカの緊急医療テクノロジーによって、
「アローダイアグラムで表した作業工程にいくつかの分岐がある場合、最短時間ですべての工程を終了できる経路」として理解されてきた。
しかし、アローダイアグラムは直線的である。

デザインサイエンス革命に必要なクリティカル・フィードバック回路は、たいてい3次曲線である。
この螺旋こそ、プロジェクト全体にかかる時間・エネルギー・資源の軽減化につながる十分な情報を与える。
ウォー・ゲームのような殺戮のための最適化(optimize)戦略からは、この回路は生まれなかった。

1981年にバックミンスター・フラーが出版した『クリティカル・パス』の独創的な定義には、
動力学的なシナジェティクスモデルが前提にあった。
動力学的なシナジェティクスモデルとは何か。
シナジェティクスの革命性的モデルは、『コズモグラフィー』でバックミンスター・フラー自らが解説する。

Y.K