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3本の矢

一本の棒は簡単に折ることが出来る。
次に3本を束にして折るとかなり折れにくい。
一人一人で物事を行うよりも、協力して行う方が、大きな効果を得ることができる。
とい教訓は実験によって確認できる。

しかし、1本の棒を3分割した場合、
その1本ですらすでに折れにくくなっている。
この原理が建築に応用されることは稀である。
まして21世紀の常識とはなっていない。

長さ方向に3分割した圧縮材は折れにくい現象は、
3本の矢は折れないという発見を
断面積の増大で説明した毛利元就の経験主義からは推論できないことである。

さらに、
こうした圧縮材の歴史は、張力材の機能をほとんど説明しない。

プラグマティスト

「バックミンスター・フラーはプラグマティストである」
これは多くのフラー論や解説書に見られる決定的な誤謬の一つである。

基本的概念をよりプリミティブにその意味を他の概念との関係によって
それまでの定義に依存しないように明確にするために集中する行為、
つまり、それらの概念を自らの行為にむけることによって、
これまでになく鋭利に基本的概念を洞察できるシナジェティクスを発見した。

この思考方法で対象となる基本的概念を視覚的に再生する行為が
シナジェティクス・モデリングであり、
新しい意識の状態に到達する現象学的方法である。

これは 20世紀のもっとも優れた直観である。
なぜなら、それまでのメタフィジクスの真理はどんな方法でも
「暗黙の堰堤」と問題を起こしていたのだから。

ディテールデザイン

モントリオールドームは妥協の産物かもしれない。
決定的なことは、分解できないデザインとして大地にインストールされたことだ。

もし移設できるデザインをアメリカ情報局が採用していたら、
NASAのバイオスフィア計画よりも 20年早く人工気象の実験がはじまり
イギリスのエデンドームよりも30年早く、透明な皮膜が集合住宅に採用されていただろう。

バックミンスター・フラーのデザインした構造物の初期の図面と比較すれば、
彼が妥協しなかったときはないと考えられる。

しかし、ディテールが財源的に蒸発しても
彼の基本デザインなくして達成できなかった手法だけが残った。

彼の基本デザインのすべては数学的原理に関与している。
(モントリオールドームを覆った可燃性のアクリル板は非構造的なディテールデザインに属する。)

数学原理の懐胎期間は建築家のどんなディテールデザインよりも長い。
実際、モントリオール後のフラー以外の建築家や企業によるジオデシックドームは模倣の産物だ。

分割について(frequency vs tessellate)

シナジェティクスは、
ある図形が重複することなく
平面を埋め尽くす場合の<tessellate>という基本概念を
使用してこなかった。
なぜなら平面は存在しないからである。

シナジェティクスは、
5回対称性のあるペンローズタイリングでさえ、3次元的に解決してきた。

これらはシナジェティクス・モジュールと分割数(frequency)で証明される。

アインシュタインの操作主義的方法論 2

彼らの操作主義には共通点がある。
〈操作主義的なプロセス〉は〈自明の理〉から思考を絶縁させたことである。
それゆえに、シナジェティクスは自らの孤立と孤高を飛び越えてわれわれを直観的な理解に結びつける。

第6章で紹介されるシナジェティクス・モジュール理論は、アナロジーを超えた素粒子論であるが、
これらのモジュールの発見こそは操作主義的数学を代表する収穫である。
シナジェティクス・モジュールにおける対称的分割から最初の非対称的分割を構成する概念は、
この収穫によってわれわれが分割を規定する経験的操作
または手段と同じであるという前提を見事に証明している。

(残念ながら、第6章では表面積と体積の<シナジー的誤差>を生じさせる
アインシュタイン・モジュールの紹介は省略されている。
新たな大型のシンクロトロン加速器が完成するまで、
アインシュタインを理解したと自負する物理学者たちは、
このEモジュールの存在には無関心を装っている。
エネルギーには形態がないという〈自明の理〉にしたがって。)

フラーの操作主義は、経験主義の成熟さを市民社会に求めなかったが、馬を早く走らせるために、
その鼻先に人参をぶらさげるタイプの実験科学者にとってもふさわしくない野生の思考が潜んでいる。
彼はプラグマティズムのように経験的に、観察という経験から原理を発見できるとは思わなかった。
『コズモグラフィー』で登場するモデル群は、数学的に証明可能な、
しかし美と直観に支えられた新しいメタフィジクス言語だ。
自ら構築した発見のインデックスさえ模倣しないシナジェティクスは、
ついに自然を模倣しなかった。

バックミンスター・フラーがアインシュタインの操作主義的方法論に深く影響されたことこそ、
誰にも似ていない理由である。

アインシュタインの操作主義的方法論 1

『コズモグラフィー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社2007)は
「アインシュタイン的宇宙の夜明け」から始まる。
第3章では、シナジェティクスの思考の独自性の根源がアインシュタインの操作主義的方法論に
深く影響されていたことが告白されている。
アインシュタインに面会したとき、彼の思考のパターンを分析して驚かせたフラーには、
すでにシナジェティクスの諸原理の発見の経験があった。
量産型のダイマクシオン・カーやダイマクシオン・ハウスをデザインする前に、
アインシュタイン自身が同意した科学哲学的な理論構築、つまり、1934年の予測的な論理に基づいて、
『月への九つの鎖』の出版前の手書き原稿でフラーが試みたことは、
最初の包括的なアインシュタイン論にすでに到達していたのである。

試行錯誤の末、偶然にある思考に到達し、さらにその思考を相対性理論とその方程式にまで
発展させたアインシュタインの思考の過程を分析し解釈した方法論こそは
初期のシナジェティクス原理の一つである。彼は思考の対象よりも思考の方法に注目した。
「従来の科学における視点とアインシュタインの視点(そして結果的に利用した方法論)とのちがいは、
〈制御された条件〉内に隔離して実験をしようと試みていた従来の科学とは対照的に、
実験に付随するあらゆる環境条件と出来事をつねに包括的に考察の対象としていたことにある。」

1947年のブリッジマンの科学的な操作主義(『現代物理学の論理』)よりも早く、
1927年の『4D』からこうした包括的な情報と鋭敏に焦点を合わせた情報の両方に
関心を向ける方法論を徹底化した結果、シナジェティクス諸原理とその相互作用の目録化が生まれた。
その具体的な方法論は、フラーの絶筆となった1983年このシナジェティクス入門書においても、
原理とその発見へのプロセスが豊富な図版とともに記述していくシンタックスに反映されている。

その結果『シナジェティクス1,2』の出版後に発見されたモデルと概念が
『コズモグラフィー』で書き下ろされていることには驚く。
87歳の哲学者は操作主義の可能性に絶えず挑んでいた。

シナジーとは

バックミンスター・フラーが『シナジェティクス』を書いた理由は、
『コズモグラフィー』の第2章 「人間の固有なマインドの発見」から引用できる。

「われわれが〈シナジー〉と呼ぶに至った原理、すなわち、システムのある部分のふるまいをただ個別に考察しても予測できないシステム全体のふるま いが、実験に基づいて証明できることに圧倒されたからである。シナジーは、超専門分化に陥った現代社会に対する反アンチテーゼ定立である。全人類が経験し てきた歴史の重要性を学習する課程において、〈シナジー〉以外に思考を効果的に導く卓越した概念は、これまでもそしてこれからも発見されることはないだろ うと私は感じていた。」

つまり、〈シナジー〉を効果的に導く卓越した教育プログラムを超専門分化に陥った教育に求められないことは明らかである。
もっとも包括的な〈シナジー〉はシナジェティクスの学習にある。
シナジーは、原理的にハイブリッド構造ではないので従来の教育法や教育プログラムと同居はできないことが
私がインターネットと利用した最初の双方向の同時的・非同時的なシナジェティクス講座を開講した歴史的な理由である。

シナジェティクス・モデル

シナジェティクス・モデルを決定するのは、
自然の原理の理解だけではなく、
自分自身をいかに理解しているかということである。

包括的理解は、天球儀の外部から星の配置関係を観察する行為に共通している
観察者の視点の移動を伴う。

かつては神の目と言われたこの操作は
内部と外部の反転操作として理解できるが、
現象の記述には意味的な鏡像対称性がないように感じられるだろう。
このことが、同じ原理を2つの異なった現象として捉えてきたのである。

1944年、シナジェティクスはベクトル平衡体とその回転軸モデルとの相違を発見した。
あらゆる環境条件と出来事を観察する場合の相対性の発見が
バックミンスター・フラーの<操作主義>の独創性を表している。

「従来の科学における視点とアインシュタインの視点(そして結果的に利用した方法論)とのちがいは、
〈制御された条件〉内に隔離して実験をしようと試みていた従来の科学とは対照的に、
実験に付随するあらゆる環境条件と出来事をつねに包括的に考察の対象としていたことにあった。」
『コズモグラフィー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳  P.52 白揚社)

デザインサイエンスの可能性

個人だけが群れから離脱する自由が与えられている。
エコロジーは人間のつくり出した経済システムから見れば、
本質的に闘争システムなのだ。
すくなくともテクノロジーはこの離脱を支えるだろう。
エコロジーは宇宙のみが創造した包括的なテクノロジーである。

デザインサイエンスの可能性は
集団的子宮から離脱(=ステップアウト)するテクノロジーでもある。

デザインサイエンスの方法論

自動車をデザインしたとき、馬車用の道しかなかった。
電話を発明したとき、十分な電線をつくる銅が不足していた。
高速道路と電話線のネットワークの構築によって
これらの工業製品は経済的に機能的に完成した。
そして20世紀の後半には無線システムに移行する革命が続いた。

そして住居もまた経済的に機能的に
上下水道とエネルギーネットワークのインフラが要求されてきた。

しかし、月に行くための宇宙船にはこれらの固体的インフラは否定された。

宇宙船の遠隔的なインフラを大気圏内で量産するテクノロジーは完成している。
そのテクノロジーはガイアのように太陽系に依存する。
そのシステムは無線、無管、無柱である。

線と管と柱は、地球温暖化のサバイバルには不要だ。

もっとも安全で経済的な内部と外部をデザインするための諸原理は
すでに発見されている。